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第2次大戦後、艦上戦闘機のジェット化は順調に進みましたが、
小型艦上攻撃機のジェット化は立ち遅れ、
朝鮮戦争終結後もレシプロ機のA-1スカイレイダーが主力でした。
米海軍は朝鮮戦争での対地攻撃の重要性を充分認識していましたが、
共産軍のMiG15に優る戦闘機を開発するため艦上攻撃機の開発は
また遅れることになりました。
しかし、1950年代初め米海軍は次期艦上攻撃機の開発計画に着手し
この計画に対してダグラス社の設計チームは、
軽量戦闘機の研究から生まれた総重量6.8トン、
全幅8.4m足らずの小型機を提案しました。
この思い切った設計案が認められ契約が結ばれ、
1954年6月22日初飛行したプロトタイプ1号機(XA-4A)は、
徹底的な重量軽減がなされ、
主翼は左右一体にしてそれに胴体を乗せる機体構造の簡略化や
整備性の容易さを考えて設計された機体でした。
1979年2月に最終量産機の引き渡しが終了するまで、
生産期間26年、総量産機数2,960機となり、
いかにA-4スカイホークの基本設計が優れていたかを証明しています。
A- 4EはA-4Cの改良型でエンジンをJ65からJ52-P-6に換えた機体で、
エンジン換装にともない空気取り入れ口の形状も変わり、
主翼下面の兵装搭載量が最大8,200lb(3,720kg)に増強されました。
A-4Fはアメリカ海軍向けの最後のタイプで、
エンジンをJ52-P-8Aにパワーアップし、電子機器を収容する
ハンプ・フェアリングが胴体背面に追加されました。
また、A-4Fはアメリカ海軍のアクロバットチーム “ブルー エンジェルス”にも
1974年から1986年の間使用され、
ダイナミックな飛行で観客を魅了しました。
実機データ(A-4E)
乗員:1名
全幅:8.38m
全長:12.59m
全高:4.57m
エンジン:P&W J52-P-6
推力:3,855kg
最大離陸重量:11,110kg
最大速度:1,085km/h/S
固定武装:20mm機関砲x2
初飛行:1961年7月21日(A-4E)
1966年8月31日(A-4F)