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零式艦上戦闘機は日本海軍の主力戦闘機として活躍した戦闘機です。
運動性能が抜群で、火力、速力等も当時の艦戦の水準を超え、
陸上戦闘機すら凌ぐものでした。
三菱、中島の両社に96艦戦に次ぐ主力艦上戦闘機として、
12試艦上戦闘機の計画要求書が交付されたのは
昭和12年10月5日のことでした。
三菱は堀越二郎技師を設計主務者として設計を開始しました。
堀越技師は96艦戦で培った技術をもとに、
重量や抵抗の軽減等、さらに踏み込んだ設計をしました。
また、恒速プロペラ、引込脚、分割構造、水滴型密閉式風防、
流線型落下増槽、クルシー無線帰投方位測定装置などの採用、
ESD(超ジュラルミン)の使用、20mm機関砲の翼内装備等の
新しい試みが盛り込まれ、12試艦戦(A6M1)1号機は
瑞星13型(離昇出力780馬力)を搭載して完成しました。
初飛行は14年4月に行われ、
1号機は社内テスト中に 491km/hを超える速度を記録し
良好な成績を収め、その後、プロペラを2翅から3翅へ換装、
昇降舵操縦装置の鋼性低下等の小改修を加え、
9月に海軍へ引渡され審査が開始されました。
テスト開始直後に、発動機を栄12型(離昇出力940馬力)に換装し
尾翼配置を変更した3号機以降の増加試作機をA6M2と呼ぶことが決定し、
審査中に空中分解事故があったものの、
素性の良い飛行機であることが認められ、
A6M2は零式1号艦上戦闘機1型として正式採用されました。
(昭和17年に零式艦上戦闘機11型・A6M2aと改称)
A6M1に比べ栄12型装備のA6M2は全長が270mm、
自重が19kg増加しましたが、
最高速度は533.4km/hに 向上しています。
11型は計64機作られ、
現地部隊の要請により正式採用前から中国戦線へ送られました。
11型は陸上戦闘機として使われた為、
艦戦としての艤装はされてません。
また、陸上戦闘機として使われた11型の翼端には
折り畳み機構が無かったので、
空母上での取扱を容易にする様に、
67号機以降の機体は翼端を50cmずつ折り畳む機構を追加しました。
さらにクルシー無線帰投方位測定装置や着艦フック等の
艦戦としての艤装を施し、零式1号艦上戦闘機2型
(後に零式艦上戦闘機21型・A6M2bと改称)として採用されています。
これらの零戦は熟練搭乗員に操られ、
各地の戦線で無敵とも思える強さを発揮しました。
《データ》
乗員:1名
全幅:12.00m
全長:9.060m
全高:3.570m
最大速度:533.4km/h(4,300m)
エンジン:「栄」12型(離昇出力940hp)