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羽黒は妙高級巡洋艦の4番艦として
大正14年(1925年)3月に三菱長崎造船所にて起工されました。
当初は呉工廠で建造される予定であった羽黒ですが、
経済不況と軍縮条約締結で仕事が減り経営不振に陥った
三菱長崎造船所を救済するために振り替え発注されたと言われています。
また、羽黒の艤装工事中に三菱長崎が豪華客船の発注を受けたため、
その内装を参考に近代的な内装工事がおこなわれ極めて好評でした。
竣工は昭和4年(1929年)4月。
11月に第2艦隊、第4戦隊に編入され主に中国方面に展開、
上海事変にも参加しています。
その後、他の妙高級と同様に第1次改装工事を受け、
砲、雷撃能力を強化しています。
その後は折からの日中戦争支援のため中国方面に展開し、
さらなる第2次の改装工事を受け近代巡洋艦として
太平洋戦争を迎えることになりました。
太平洋戦争中羽黒は妙高と同一行動をとることが多く、
開戦時も第2艦隊、第5戦隊をなして妙高の指揮下に入っており、
フィリピン攻略、蘭印(現インドネシア)攻略などの支援、
陸軍の輸送船の護衛などをこなしていました。
そして昭和17年(1942年)2月27日、
蘭印攻略とそれを阻止せんとする連合軍の艦隊との激突が起きました。
スラバヤ沖海戦です。
この海戦では羽黒は同型艦那智とペアを組んで、
ドールマン少将率いる蘭、英、豪、米の混成艦隊と砲火を交えました。
同航戦に入った両艦隊は遠距離砲戦を展開、
羽黒の一弾が英巡エクゼターにヒットして損害を与えていますが、
命中弾が少なく延々7時間も砲戦、雷撃戦を繰り 広げたのです。
しかし、夜に入って発射した魚雷が蘭巡、
デ・ロイテル、ジャワに命中、両艦は沈没しました。
この後の3月1日、一旦スラバヤ港に退避していた英巡エクゼターが
駆逐艦に守られてセイロン島へ脱出するのを阻止せんと北から
妙高、足柄、南から那智、羽黒が挟み撃ちにしてエクゼターを撃沈しています。
この後は5月9日の珊瑚海海戦に参加したのですが、
空母陣の前衛に展開していたのと、
米軍機が空母のみを目標にしたため交戦することなく終わっています。
そして日米戦争のターニングポイントとなったミッドウェー海戦には
妙高、羽黒の第5戦隊が攻略部隊として参加していますが、
この部隊はミッドウェー島を占 領するための陸軍兵を満載した輸送船団を護衛しており、
ご承知のように空母部隊が壊滅して作戦は中止されたため出番はありませんでした。
しかし、第5戦隊は同時におこなわれたアリューシャン攻略作戦を支援するため分派され、
上陸部隊の支援任務などをおこなっています。
任務完了後再び南方へ進出、ソロモン方面へ展開します。
ミッドウェー以後、日米の戦いの天王山はガダルカナル島を巡る戦いとなり、
第1次、第2次、第3次のソロモン海戦や南太平洋海戦、
ルンガ沖海戦などが次々と起こります。
ガダルカナルを奪われた日本軍は、
奪回を目指して川口支隊を逆上陸させようと輸送船団を送り、
これを阻止せんとする米軍との間に起きたのが第2次ソロモン 海戦でした。
翔鶴、瑞鶴基幹の第3艦隊は高速戦艦、
巡洋艦基幹の第2艦隊(妙高、羽黒所属)を前進部隊として輸送船団を支援したのです。
この戦いでは日本側は分派していた小型空母龍驤を敵の航空攻撃で失い、
一方でエンタープライズを大破させていますが、
輸送船団を守りきることができず、輸送作戦は中止。
戦略的には敗北でした。
しかし、潜水艦による魚雷攻撃でサラトガを大破させ、
ワスプを撃沈し、米海軍をしてこの方面で
使用できる空母はホーネットのみという苦境に陥れています。
この海戦で羽黒は水上機母艦千歳を護衛していましたが、
千歳は爆弾を喰らってしまいました。
この後、羽黒はトラック島とラバウルの間を幾度となく往復、
輸送作戦を展開しています。
やがて米軍の攻勢が激しくなりブーゲンビル島へ上陸してきました。
この時この方面にあった第5戦隊は第1次ソロモン海戦の三川艦隊の夢よもう一度とばかり、
敵輸送船団に殴り込みをかけたのですが、
当然この攻勢はアメリカ 海軍の察知するところとなり
軽巡4艦を基幹とし新鋭のフレッチャー級駆逐艦8隻を配した艦隊が待ち受ける中、
妙高、羽黒の第5戦隊を中央に左右にそれぞれ 第3、第10の水雷戦隊という
妙な陣形で両艦隊は接近したのですが、
日本艦隊は米艦隊にTの字で頭を押さえられてしまいます。
米艦隊はレーダー照準で正確な射弾を送り、
一方の日本艦隊は照明弾を投下して応戦します。
しかし、3列縦隊という布陣は戦術的に極めて拙く、
避弾のための回頭で妙高と駆逐艦が衝突し、
軽巡川内が被弾のために隊列が崩れるなど四分五裂の状態になってしまいました。
羽黒は妙高を庇って敵前に身を挺し、
6発の敵弾を浴びますが幸いなことに4発が不発弾で大事には至りませんでした。
結局この海戦で日本側は軽巡川内と駆逐艦2艦を失い、
米側は軽巡1艦が損傷したのみで完敗したのです。
その後、トラック、パラオ、ダバオなどを往復して輸送作戦に従事していた羽黒は
昭和19年(1944年)6月のマリアナ沖海戦に参加。
旗艦であった空母大鳳が雷撃を受けて損傷したため、
一時的に小沢中将の機動部隊総旗艦になっています。
続く10月のレイテ決戦では栗田中将の艦隊に属しリンガ泊地を出撃、
サンベルナルジノ海峡で僚艦妙高が被雷、脱落し戦艦武蔵も撃沈された後も
大和、長門などと共に海峡を突破、サマール沖に米護衛空母群を発見、猛砲撃を加えます。
羽黒は艦隊の先頭に立ち突進、ガンビア・ベイを撃沈、
ファンショー・ベイを大破させるなど大戦果をあげますが、
砲撃中止、集まれの指令に戦場を後にし、やがて反転して戦場を離脱することになります。
この後、羽黒は妙高と共にシンガポールにいましたが、
妙高は損傷して動けず、また内地との連絡は途絶えていました。
こうした中アンダマン諸島ににいる陸軍兵に
武器、食料、医療品などを届けるため駆逐艦神風の護衛を受けつつ
シンガポールを出港した羽黒は昭和20年 (1945年)5月マラッカ海峡で英艦隊に捕捉され
5隻の英新鋭駆逐艦との白兵戦に近い戦闘を展開、
至近距離からの魚雷攻撃を受けて3発が命中、沈没、
その生涯を閉じたのです。
(要 目)開戦時
基準排水量:13,000トン
水線長:201.70m
最大幅:20.8m
主 缶:ロ式艦本式重油専焼缶 12基
速 力:33.9ノット
航続力:14ノット 7,500海里
兵 装:20.3cm連装砲×5基 12.7mm 連装高角砲×4基
25mm連装機銃×4基 13mm連装機銃×2基 4連装発射管×4基