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「ジープ」は四輪駆動車や軍用車の代名詞となって、すでに長い時間がすぎましたが四輪駆動の機構など、戦後の自動車の発達に重要な技術見本となりました。機能的な設計と生産性の向上のため無駄なくデザインされた車体は、完成された機能美でまとめられています。
1940年、アメリカ軍ではヨーロッパで勃発した戦争で自動車の機動力に注目し、小型軽量で偵察や武器の輸送などに使用する小型自動車の必要性が高まりました。陸軍軍事補給部技術委員会はジープの原点となる小型四輪駆動車の計画案を7月にアメリカの100余りの自動車メーカーに入札案内を発送しました。その結果、ジープのプロトタイプ車はアメリカンバンタム社が落札することになったのです。
軍は1500台ものプロトタイプ車が必要だったため、ウイリス オーバーランド社とフォード社にバンタム社のデータを与え各社で試作車を作るよう指示しました。そして1941年になるとアメリカンバンタム社はプロトタイプ車を改良した「BAN-TAM 40 BRC」、ウイリスオーバーランド社は「WILLYS MA」、フォード社は「GB」を製造し、これらのモデルはヨーロッパの戦場での実戦配備で性能を試されました。
3車種の比較の結果、ウイリス「MA」が標準規格として選ばれました。ここにジープである正式名称「Truck 1/4ton 4×4 Command Reconnais-sance Willys MB」が誕生したのです。また政府は、巨大な生産力を持つフォード社にもウイリス社と同じ車両の生産を発注し、フォード社ではこのジープに「GPW」の名称をつけました。そして、第二次世界大戦が終了する1945年までに合計639,245台ものジープが生産されます。
ジープは戦場で偵察、兵員輸送、救急車など多用途に運用され、イギリス、カナダ、ソビエトなどに供給され、連合軍を勝利に導きました。
フォロー ミー ジープ
航空機を所定の駐車場や滑走路に案内誘導をするには、小型で運動性能に優れたジープが適していました。決まった型式はなく、前線基地では、幌をつけたジープの後部に「FOLLW ME」とプレートを貼って航空隊を誘導したものが最も多く使用されました。大規模な飛行場の場合は、無線機を搭載したジープが管制官と交信しながら航空機を誘導していましたが、前線基地や小規模の飛行場においては、より強力な無線機を搭載し、滑走路の横に駐車して直接航空機の離着陸指示が行われるなど、小さな管制塔としての役目を担っていました。
<データ>MB/GPW
全長:3,320mm、全幅:1,580mm、全高:1,800mm、ホイールベース:2,320mm、重量:1,377kg、最大積載量:250kg、タイヤサイズ:6.00×16、エンジン:"GODEVIL"、総排気量:2,190cc SV形式、最高出力:54hp/4,000rpm