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衣笠は大正13年(1924年)1月に改古鷹級の2番艦として神戸川崎造船所で起工され、昭和2年(1927)9月に竣工、直ちにほぼ同時に竣工した青葉と共に第2艦隊、第5戦隊に編入されています。なお、衣笠は太平洋戦争開戦まで青葉と行動を共にしています。 この後衣笠は第2艦隊、第5戦隊の2番艦としてを青葉、古鷹、加古と中国、内海方面で主に訓練に明け暮れました。 こうして完成した青葉、衣笠ですが昭和3年(1927年)から昭和9年(1934年)まで、およそ年1回のペースで小改造が施されています。 科学技術が日進月歩のこの時代にあってアップデート化は時代の要請だったのですが、根本的な部分で問題が生起していました。 それは7,100トンという限られた大きさの中に強力な攻撃力を盛り込んだため、どう見てもバランスを欠いていると言う点でした。 このため大改造の必要に迫られ、加古の近代化改装工事が終了する頃に青葉と共に改装工事を受けることになります。 改装のポイントはバルジの装着などの船体の大型化と射撃方位盤、指揮装置の近代化、雷装、航空兵装の近代化でした。 こうして古鷹級、青葉級ともに基準排水量9,000トンの堂々たる近代的な巡洋艦に生まれ変わって太平洋戦争を迎えたのです。 開戦初頭には衣笠は青葉と行を共にしてラバウル攻略作戦、ウェーキ島攻略作戦、ラエ、サラモア攻略作戦、ブーゲンビル島攻略作戦などを支援していますが、この間本格的な戦闘は経験していませんでした。 昭和17年(1942年)5月、珊瑚海海戦にMO攻略部隊主隊として参加するも空母祥鳳を失った後、機動部隊と合同して米海軍機と戦火をを交えています。 一旦呉に帰港した衣笠は再度ラバウルに進出、ガダルカナル島を巡る戦いに身を投じます。 昭和17年(1942年)8月の第1次ソロモン海戦に参加し、鳥海、第6戦隊の各艦と共同して豪、米重巡洋艦4艦撃沈、1艦大破の大戦果を揚げました。 その後このガダルカナル島を巡る戦いは、島の中の戦いを含めて日米両軍がガップリ4つに組んだような一進一退の状況が続き、昭和17年(1942年)10月のサボ島沖海戦に至ります。 ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を砲撃せんと五藤少将麾下の第6戦隊青葉、古鷹と衣笠が暗夜サボ島目指して南下中にこれを阻止せんとする米艦隊に待ち伏せを受けます。 米巡サンフランシスコ、ソルトレークシティを基幹として駆逐艦を含めた9隻の艦隊でした。 米艦隊はレーダー照準で先頭艦青葉を捉え的確な射弾を送ってきます。 司令官の五藤少将はこの敵艦隊を合同予定の味方駆逐艦と誤認して攻撃を逡巡していたため一方的に叩かれ、艦橋をヒットした敵弾で重傷を負い後に戦死してしまいます。 青葉は上部構造物が破壊され火災をおこします。 これを見ていた2番艦の古鷹は身を挺して前方に躍り出ますが逆に敵弾を吸収してこちらも打撃を受けやがて沈没してしまいます。 3番艦の衣笠は後続の初雪とともに反転しつつ敵艦隊に有効な射弾を送り魚雷を発射して青葉の避退を助けつつ、米軽巡ボイスに甚大な損害を与え、さらに重巡ソルトレークシティを小破させました。 こうして衣笠の的確な戦いが青葉を救い、この負け戦を何とか収拾したのでした。 このサボ島沖海戦は夜戦に絶対の自信を持っていた日本海軍に対しレーダーの眼という助けを受けた米海軍が逆にアドバンテージを持つようになった節目の戦いでもありました。衣笠は無傷で生還します。 いよいよガダルカナルの情勢が厳しくなってきたため昭和17年(1942年)10月13日、連合艦隊は戦艦金剛、榛名にヘンダーソン飛行場の砲撃を命じこ れは大成功を収めました。さらに翌14日には三川中将指揮下の鳥海、衣笠が続きこれも成功しました。 こうしてガダルカナル島砲撃作戦が次々と立てられましたが、米軍も必死でこれを阻止したため比叡が、第3次ソロモン海戦では霧島が失われることになり、さらなる戦いがこの小島を巡って争われることになります。 この砲撃を企図したものの阻止された第3次ソロモン海戦とは別に連合艦隊司令部は三川中将麾下の巡洋艦部隊にもガダルカナル島の砲撃を下令し、三川中将は 主隊(鳥海、衣笠、五十鈴、朝潮)と支援部隊(鈴谷、摩耶、天龍、駆逐艦3艦)を率いて出撃、11月13日11時30分より翌24日0時1分まで支援部隊 の鈴谷、摩耶が約1千発の主砲弾を発射、新,旧飛行場が大火災を起こし、飛行場内の航空機に甚大な損害を与えて砲撃は成功裏に終了したのです。 しかし、米軍も復讐の念に燃えてこの艦隊を捜索、一路北上を続ける三川艦隊に空母エンタープライズの艦載機が襲いかかり、衣笠は艦橋前部に直撃弾を受け、さらに至近弾多数のため浸水が酷く結局沈没してしまったのです。 こうして衣笠は南の海にその生涯を沈めたのです。 生き残った青葉は別として古鷹、加古、そして衣笠と意外と簡単に沈没してしまっているのは、当初は7,100トンからスタートした小型の船体に強武装を施したため防御がおろそかになっていたことが主たる原因ではないかと思われます。 (要 目)最終時 基準排水量:9,000トン 水線長:183.53m 最大幅:17.56m 主 缶:ロ式艦本式重油専焼缶 10基 速 力:33.43ノット 航続力:14ノット 8,223海里 兵 装:20.3cm連装砲×3基 12.7mm 単装高角砲×4基 25mm連装機銃×4基 13mm連装機銃×2基 61cm4連装発射管×2基